・金銭的な困窮から次のキャリアを考えることに。場当たり的な生き方で家族には迷惑をかけるが、そんな自分の生き方が嫌いではない。
Javascript学習中。広大なプログラミングの世界が見えはじめてきた。まだ入り口か・・・。
・子は3歳を目前にして、ようやくどの言語でも簡素ながら2語文が話せるようになった。情緒面では癇癪が多いものの、何をしたら怒られるのかを理解しつつある。粘土遊び、お絵描きなどは、いまいち続かないのだが、音楽にはかなり慣れ親しんでいる様子。
・SokolovはBeethovenのTempestも抜群に良い。神経質なppから、硬質な解釈とアプローチで最後まで一気に駆け抜ける。ブラボー。

3Pホロウ

・学生時代に何かの本で引用されていたのを見てから、ずっと頭の中にあったフランシス・ベーコン(画家)の一節だが、最近前後の文脈を見つけた。

(Interviewer) The conjunction of the meat with the crucifixion seems to happen in two ways - through the presence on the scene of sides of meat and through the transformation of the crucified figure itself into a hanging carcass of meat.

(Francis Bacon) Well, of course, we are meat, we are potential carcasses. If I go into a butcher's shop I always think it's surprising that I wasn't there instead of the animal.But using the meat in that particular way is possibly like the way one might use the spine, because we are constantly seeing images of the human body through x-ray photographs and that obviously does alter the ways by which one can use the body. You must know the beautiful Dégas pastel in the National Gallery of a woman sponging her back. And you will find at the very top of the spine that the spine almost comes out of the skin altogether. And this gives it such a grip and a twist that you're more conscious of the vulnerability of the rest of the body than if he had drawn the spine naturally up to the neck. He breaks it so that this thing seems to protrude from the flesh. Now, whether Dégas did this purposely or not, it makes it a much greater picture, because you're suddenly conscious of the spine as well as the flesh, which he usually just painted covering the bones. In my case, these things have certainly been influenced by x-ray photographs.  

 あえて訳すのなら、

(聞き手)肉と磔(はりつけ) を結びつけるのには、肉の側面が現れてくる場合、または、磔にされた物体自体が肉塊に変容していく場合、二通りの方法があるように思えますが。

(ベーコン)もちろん、私たちは肉、さらに言えば、潜在的な肉塊であることは明らかです。 肉屋に入れば家畜の肉の代わりに私自身がそこにぶら下がっていないのが不思議なくらいです。しかし、そのような特定の方法で肉を使うことは、おそらく私たちが背骨を使うのと同じなのかもしれません。というのも、我々は定期的にレントゲン写真で人体を見ており、そのことが体の使い方を明らかに変えてしまうためです。ナショナルギャラリーに収蔵されている、ドガの、背中をスポンジで洗う女性の絵をご存知でしょう。背骨の先がまるで皮膚から突き出さんばかりであるのが見て取れると思います。こうすることで圧力とひねりが加わり、首まで背骨を自然につながるように描くのに比べ、他の肉の弱弱しさをよりはっきり際立たせています。ドガは肉から突き出して見えるように背骨を折ったのです。彼が故意にそうしたのかはともかく、このことによって作品がより素晴らしいものになっています。通常は骨を覆いかくして描かれている肉と同じように、背骨をわれわれに意識させたのですから。私の場合は、こういったことは、レントゲン写真の影響を明確に受けています。

ようわからん。

スカスカボロボロ・フェアー

プログラマに指示を出すのも、洗練されたUI/UXを提案するのも、最低限の知識が必要。一方で自分のHTMLの勉強は遅々として進まず。

・一日中パソコンにかじりついているとさすがに目が痛くなる。今までは、仕事の息抜きでスマホなりPCをダラダラいじっていたけど、こりゃ他のリフレッシュ方法が必要かも。

・息子の言語の成長が著しい。母親と話すときはベトナム語父親と話すときは英語、というルールが確立されつつあるように見える。まあ、まだまだ混ざるのだけど。これで日本語もちゃんと話してくれれば文句なし。金ができたら、近所で英語教えてくれるネイティブでも探すか。

・俳句と漢詩をつくりたい。あとFacebook上で書籍のレビューなんかもしたい。英語の技術ブログもはじめたい。水泳に通いたい。投資を始めたい。新しいクレカをつくりたい。勉強会に参加してみたい。人付き合いは最低限にしたい。

・ScriabinのPiano Sonata 3を最近よく聞く。彼が神秘主義に傾倒する前、ロマン派の薫り高い作品。Sokolovの演奏がベスト。

すべての美しい馬(すべてとは何か)

・タイから帰国。無事にビザは取得したものの、何かの手違いでシングルビザ。平日で時間を見つけて移民局へ行って、マルチビザに切り替えなければならない。

バンコクは想像以上に日本の大都市に似ていた。清潔感あふれる背の高いオフィス街、一晩中かしましい歓楽街、ハイソサエティが住む閑静な住宅街が、猫の額ほどの土地に集中し、それでもはっきりと区分けされている。それらを趣向を凝らしたラッピングのモノレールが貫いている。少なくとも私にとって観光で行きたい場所ではない。

バンコク紀伊国屋と洋書専門古本屋で本をいくつか購入。紀伊国屋書店は地方都市の駅前の本屋とさほど品揃え変わらないんじゃないか。こういうところはバンコクならでは。

 

名画の言い分 (ちくま文庫)

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紙1枚で身につく! 外資系コンサルのロジカルシンキング

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Crash

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All the Pretty Horses: 1/3 (Border Trilogy)

All the Pretty Horses: 1/3 (Border Trilogy)

 

 読む時間作ろう。まじで。

 

唖幾三

・何もわからないまま、プロジェクトが進んでいく。これちゃんと進捗を管理できているんかな、って思うことがしばしば。どうやら、今自分に期待されている役割をつきつめていくと、巷でプロダクトマネージャと呼ばれているポジションに行き着くらしい。

まずは「ユーザー目線で考えて価値のあるものを」と繰り返し言われているので、わからないなりに、そこにはこだわっていかねば。

・Grigory Sokolovのラフマニノフピアノ協奏曲2番がやばい。Perfection of perfection.

・ビザの関係でタイへ一時出国。金もないのにまさかの2泊。誰も寝てはならぬ不夜城バンコク。半男半女とお大尽遊び?いいや止しとく。