PR (Pubic relation)

・単独で日本帰国。実家に身を寄せ、最初の2ヶ月は今後の生き方について考えながらフラフラと。直近の1ヶ月は某大手流通会社で契約社員として肉体労働に勤しむ。早いところ安定した職について迎えに来てくれ、と妻がせがむ。以前より少し締まった身体を見たら、彼女は何というだろうか。万葉集で詠われた防人のような気分になる。

・海外生活ですっかり失われたと思われた読書習慣は、帰国後1週間足らずで復活した。2週間ごとに図書館に通いつめ、一気に10冊ほどごっそり借りていく。統計や数学の入門の本が中心。しばらくは文芸書は後回し。

・読書とは逆に、向こうで新たに獲得した習慣であるところのカフェ巡りは、日本では、ファミレスのドリンクバーとコメダ珈琲で代替。コメダは価格の高さを除けば、かなり理想に近い。喫煙者としてはドアのある完全分煙がうれしいポイント。さすがに図体のでかいオンボロノートPCを引っ張り出すのは気が引けるので、読書とスマホいじりが主。

・移動のために自転車を購入。6段階の変速つき。約2万円。家族が来たら電動自転車を買わないと。

Just as every cock is a criminal...

・いまだ職なし。妻から私の母へチクリの直電も入り、この年齢にして深刻な怒られが発生中。日本へ帰国することを検討。

・日本から来たお客に連れて行ってもらったお店で、蟹やら海老やら食い散らかしていたら、翌日に甲殻類アレルギーが出て七転八倒。全身に蕁麻疹が出てくるのに加え、風邪のような症状も併発。成人してから発症したから今でも油断しがち。そういえば、はじめて甲殻類アレルギー発症したときは、原因がぜんぜんわからず、HIV感染症じゃないかとビクビクしていたのを思い出す。

・件の「トイレが汚い以外は完璧なカフェ」が閉店してしまった。最後のほうは、ほぼ一日中入りびたりだったから悲しいことこの上なし。

・子は、ようやく語彙が増えてきた。相変わらずベトナム語優勢なのだが、日本語でも意思をはっきりあらわすようになってきた。最近では、父母に不満がある際に、こちらの両頬をはさんで、「お父さん、ごめんなさいは?」と言う。

ナードの朝

・無職生活がいよいよ板についてきてしまった。働きたくないどころか、「本来これが自分のあるべき生活」と思い込むレベル。収入がないことを差し引いても、心の安寧がやばい。妻の心中は大嵐のようだが・・・。

・無職になってから、昼時に一度家に帰って食事を取るとき以外は、基本的に朝から日没までカフェにいてパソコンをいじっている。あまり一つのところだけに入り浸るのも迷惑かな、と考え、複数のカフェをローテーションするのだが、選ぶときの基準がいくつかある。「家からバイクで15分以内」、「電源・Wifiが利用可能」、「喫煙可能」、「壁を背負う(PCの中身が他の客から見えない)席が多い」、「飲み物の単価が安い」、「机の高さがちょうどいい」、「客が少ない」、「トイレがきれい」。最初の4つはマスト。当然、すべてを満たす場所は存在しないため、残りの条件はどこかで妥協する必要がある。

今一番頻繁に出入りしているカフェは、奇跡的に上記のほぼすべての項目を満たしているのだが、トイレだけが絶望的に汚い。女性オーナー(40代)のものと思しき洋服・下着や生理用品がトイレ内に散乱し、石鹸はおろかトイレットペーパーすらも備え付けられていない。ドアの鍵もかからない。小は問題ないが、大の場合にはさすがに戸惑ってしまう。しかし、繰り返しになるが、トイレ以外はほとんど完璧なのだ。

良くも悪くも無職の生活サイクルは安定しており、午前9時前後に決まって大をもよおすのがわかっているため、最近では、朝一番でトイレが(比較的)きれいな近場のカフェで大を済ませてから件のカフェへ移動、というアホみたいなハシゴ方式が確立されつつある。

・子は、同じアパートに住んでいる1歳年上の男児と最近よく遊んでいる様子。この子は英語も上手で、二人でベトナム語英語叫び声を交えながら、ワイワイやっている様子はとても微笑ましい。

大いなる恋愛工学者の猿

・さるインターネットラジオのBGMが、かなり聞き慣れたメロディなのだが、曲名が思い出せずに数時間ほど格闘する、ということがあった。クラシック音楽なのは間違いない、雰囲気は荘厳、バロックっぽい?教会音楽?オラトリオ?いや、誰かのレクイエムだったか?一向に思い出せないため、「鼻歌で検索ができる」という触れ込みのアプリをインストールし、恥ずかしさを忍んでフーンフーン歌ってみるも、まったく該当なし。最終的に、musipedia(http://www.musipedia.org/js_piano.html)という、鍵盤で音符を入力して検索できるWebサイトで、一発解明。ヘンデルのSarabandeか。なお、馴染みがあるのは原曲ではなく、昔よく聞いていたSara BrightmanのSarabandeのイントロ(原曲の一節が採用されている)だった。

・求職活動ゆっくりし過ぎ。妻から急き立てられる。

・子は、知っている言葉(英語)を片っ端から並べてひと塊の文章に見立てて話す、というフェーズに入ってきたようだ。数ある単語の中でも"Halloween"がお気に入りの様子で、必ずセンテンスにぶち込んでくる。こちらが”No, halloween is over!”と返すと、次からは”Haloween is over.”をそのまま文章中に入れてくる。

・仕事納めまであと2日。簡単な引継ぎだけ作って、あとは勉強と求職活動。
・退職後は、妻の実家に帰るのだが、もう少しこちらでのんびりしたい気持ちがある。実家だと、やることないから必然的に勉強に集中できるんだが。
・勉強は、ドットインストールで概要をつかんで、UdacityとCouseraで理論的なバックボーンを仕上げていき、定期的にアウトプットしていく形になりそう。正直なところ、日本の会社でITエンジニアとして働くメリットがまったくなさそうなので、日本語で勉強するより、多少学習コストが上がっても英語でやったほうが良い。
・働き方について考えることが多くなった。家族も養わなきゃならないし、おいしいものも食べたいので、それなりのお金が必要、という前提はあるのだけど、意に沿わない仕事や自分自身で価値を信じきれていない仕事は、可能な限り遠ざけていこうと思う。そのための勉強であり、そのための技術なのだ。
・Prokofievの映画音楽、Alexander Nevskyの中の Battle on the iceがかっこいい。VivaldiのRequiemとか、Carmina Buranaとかの大仰で勇ましい雰囲気の音楽。

・金銭的な困窮から次のキャリアを考えることに。場当たり的な生き方で家族には迷惑をかけるが、そんな自分の生き方が嫌いではない。
Javascript学習中。広大なプログラミングの世界が見えはじめてきた。まだ入り口か・・・。
・子は3歳を目前にして、ようやくどの言語でも簡素ながら2語文が話せるようになった。情緒面では癇癪が多いものの、何をしたら怒られるのかを理解しつつある。粘土遊び、お絵描きなどは、いまいち続かないのだが、音楽にはかなり慣れ親しんでいる様子。
・SokolovはBeethovenのTempestも抜群に良い。神経質なppから、硬質な解釈とアプローチで最後まで一気に駆け抜ける。ブラボー。

3Pホロウ

・学生時代に何かの本で引用されていたのを見てから、ずっと頭の中にあったフランシス・ベーコン(画家)の一節だが、最近前後の文脈を見つけた。

(Interviewer) The conjunction of the meat with the crucifixion seems to happen in two ways - through the presence on the scene of sides of meat and through the transformation of the crucified figure itself into a hanging carcass of meat.

(Francis Bacon) Well, of course, we are meat, we are potential carcasses. If I go into a butcher's shop I always think it's surprising that I wasn't there instead of the animal.But using the meat in that particular way is possibly like the way one might use the spine, because we are constantly seeing images of the human body through x-ray photographs and that obviously does alter the ways by which one can use the body. You must know the beautiful Dégas pastel in the National Gallery of a woman sponging her back. And you will find at the very top of the spine that the spine almost comes out of the skin altogether. And this gives it such a grip and a twist that you're more conscious of the vulnerability of the rest of the body than if he had drawn the spine naturally up to the neck. He breaks it so that this thing seems to protrude from the flesh. Now, whether Dégas did this purposely or not, it makes it a much greater picture, because you're suddenly conscious of the spine as well as the flesh, which he usually just painted covering the bones. In my case, these things have certainly been influenced by x-ray photographs.  

 あえて訳すのなら、

(聞き手)肉と磔(はりつけ) を結びつけるのには、肉の側面が現れてくる場合、または、磔にされた物体自体が肉塊に変容していく場合、二通りの方法があるように思えますが。

(ベーコン)もちろん、私たちは肉、さらに言えば、潜在的な肉塊であることは明らかです。 肉屋に入れば家畜の肉の代わりに私自身がそこにぶら下がっていないのが不思議なくらいです。しかし、そのような特定の方法で肉を使うことは、おそらく私たちが背骨を使うのと同じなのかもしれません。というのも、我々は定期的にレントゲン写真で人体を見ており、そのことが体の使い方を明らかに変えてしまうためです。ナショナルギャラリーに収蔵されている、ドガの、背中をスポンジで洗う女性の絵をご存知でしょう。背骨の先がまるで皮膚から突き出さんばかりであるのが見て取れると思います。こうすることで圧力とひねりが加わり、首まで背骨を自然につながるように描くのに比べ、他の肉の弱弱しさをよりはっきり際立たせています。ドガは肉から突き出して見えるように背骨を折ったのです。彼が故意にそうしたのかはともかく、このことによって作品がより素晴らしいものになっています。通常は骨を覆いかくして描かれている肉と同じように、背骨をわれわれに意識させたのですから。私の場合は、こういったことは、レントゲン写真の影響を明確に受けています。

ようわからん。